今週は、教会の暦では最後の「王であるキリスト」の主日。福音はルカ23.35-43。
今日のお説教では、
英国のウィリアム王子の結婚の費用の問題にふれて、この世の王の話ですと切りだされました。この世の王は、民を救うために命を捨てるという人はあまりいないのかもしれません。イエスはどんな人だったのかというと、聖書勉強会では十字架に付けられるまでの3年間は、神の救いについて述べ伝えるとともに、罪人の友、弱い者、貧しい者の味方をつらぬいてきた人。また宗教的にも社会的にも当時の要人とぶつかりあってきた人であったことを学びました。そしてそれは罪人とともに十字架につけられるという最後の最後までそういう立場であったこと。この福音の場面では、十字架につけられるような罪人であっても、救われるのです。王とは何たるかを考えることで、逆にイエスの生き方にたどり着くという感じでした。
教会の1年間の最後に王であるキリストを考えるという意味が、ほんの少しわかったような、わからないような…。