夕べは家族で誕生会。ケーキは…リーズナブルに半手作り。スポンジは,
買ってデコレーション。
それも果物に目ぼしいものがなく,手頃なお菓子を息子に飾らせ
て完成。おまけに生クリームをしぼるため口金をセットする直前に
何かのはずみで落としてしまい,それがどうしても見つからず断念。
手抜きケーキとなってしまいました。
それはそれで喜んでいるのでいいことに。
今日は,共同祈願で自分の名前が呼ばれるのに緊張したらしく
順番が近づくと目を激しくこすり,頭をかき,落ち着きのない様子。
呼ばれて,ちょっとしたらすっかり落ち着いたのでやっぱり緊張した
のでしょう。でもみんなに声をかけられよかったね。
さて,今日の福音(マルコ10.46-52)。
物乞いの盲目の老人がイエスが来たことを知ると,
「ダビデの子イエスよ,わたしを憐れんでください」と周りに
止められても叫び続け,結果イエスに呼ばれ,目を治して
もらうという奇跡の場面です。
神父様は,障害を抱え,物乞いをしながら生きる弱い老人が
イエスを救い主と信じて叫んだこと,それを見過ごさず心を
留めてくれたできことを通して,神のしるしがあるのだと
お話されました。しるし…印?標し?質問すればよかった。
この場合,人々にしいたげられるような人々…弱いがゆえに
より頼むことに迷いのない人々に救いがあったということと
理解しました。
わたしも先日,娘が病気かもしれないと悩んだとき,今までの
健康な日々がどんなに素晴らしいことかつくづく考えさせられ
ましたが,苦しみがあるときに神の恵みに気づく人は多いとの
こと。日々の出来事の中にも,神さまのしるしがあるのだとしたら
それに気づけるようにしたいものだと思ったのでした。
それが悲しいできごとだったとしても,うれしいできごとだったとしても。