今日は,ミサ中に,今週誕生日を迎えた息子らのためのお祈りがあった。毎週,いろいろな方のお誕生日を紹介し,その方のためにお祈りすることになっているからだ。それだけメンバーの少ない小さい教会だということにもなる。共同祈願の時,名前が呼ばれると一瞬ニコッとして,あとはみんなに見られたので,緊張してしまい,顔を隠してしまったが,ミサ後にみなさんから「おめでとう」をたくさんいただいて,うれしかったようだ。神父さんも息子の名前と顔をちゃんと覚えていてくれたようで,わざわざ会いに来てくれて,息子はびっくりしたよう。
今日は,ルカ18・14「だれでも高ぶるものは低くされ,へりくだる者は高められる」の箇所の福音。自分は正しい人間だと思っているファリサイ派の人と自分を罪びとだとへりくだる徴税人のたとえ話。いま一つすっきりわからないところがあったのだけれど,ミサ後に中央地区のお知らせで友人の書いている文章を読んだら,だいぶわかったような気がした。自分が正しいと思っていることにより,見えなくなること,見ようとしなくなっていること,気付かないこと…なるほど。すごく自分には大事な言葉だったなあと友人のおかげで気が付いたのであった。
とてもいい天気に,さっそく洗濯。家事はあまり好きではないけれど,晴れた日の洗濯は,好き。今日は,クリスマス前ということで娘の侍者服も洗った。咲き終わって,乱れてきたシュウメイギクを切って,庭の方も少しずつ整理。今年植えたバラのアンジェラと白モッコウバラも誘引の方向を考えなくては。咲くところを想像しながらどうしようかなあと考えるのが思いの他楽しみになっている。