教会としてどう支援に携わるか、何ができるかの話し合い。先遣隊の報告を聞き、長時間話すも先が見えないままでした。月末に被災地域近くの教会にみんなで行って共に祈る、そして考えるというところまで。初めて沿岸近くに行くことになります。正直怖いです。
土曜学校の再開が次の土曜に決まりました。おばあちゃんたちから催促がありました。必要とされていてうれしいです。さっそく、月末の教会訪問のおみやげとして、県南の3教会の方たちへメッセージカードとなり、子供たちも気軽に配れるようなもの作る活動を考えたいです。卒業・修了式も地震で流れているので、今週は準備に時間がかかりそうです。でも、やっとわたしのやるべきことが見えてきたので、安心しました。何もしていない焦り、かなりのストレスでした。
今週はそれに向けてがんばろうっと。
今週の福音(ルカ24-13-35)は、イエスの復活後に二人の弟子がエマオへの道でイエスに出会う話です。わたしは、この場面がすごく好き。
復活の一連の話をあ~だ、こ~だと話しているところに当のイエス本人に声をかけられるのです。そして、弟子として一緒に過ごしていたのにもかかわらずイエスだと気が付かないで延々と話をする。先週の「見ないで信じる者は幸い」どころか見ても気付かないのですから(笑)弟子たちのこういう間抜けな様子が身近に感じられて、好きなのです。
まさに「ああ、物分かりが悪く、心が鈍い…」です。そう、そう、自分も。
バチカンの立派なサン・ピエトロ寺院などを見るとペトロはどんなにか偉い人と思ってしまいますが、弟子たちは弱く、愚かな人間だったというところに気付くと、イエスの皮肉やいらいらがなんとなくわかるし、そんな人物が聖霊によって宣教の要となっていく過程がこれからの朗読箇所に続くので、この時期の福音は興味深いです。